長野電鉄

長野電鉄

須坂や中野といった千曲川東岸地域(河東地区)と国鉄線の接続による産業輸送近代化を目的とした「河東鉄道」を発祥とし、その後県都である長野との接続を図るべく「長野電気鉄道」を設立し須坂〜長野間を開業、両社を統合して出来たのが現在の長野電鉄である。山の内線開業により湯田中・渋温泉や志賀高原の開発を進めるなど観光開発にも注力し、スキーブームの先鞭となった。

長野線は開業当初から長野市内・近郊で複線区間を有し(当時は権堂〜信濃吉田間・その後長野及び朝陽まで複線延伸)、複線区間では20〜30分毎の高頻度運転を続けており、都市内鉄道としての性格も強かった。戦後は長野市の都市計画において長野都市圏の大動脈として位置付けられ沿線の開発も進み、また長野市と須坂市・中野市を結ぶ都市間路線としての機能も強くなったことから観光色は若干弱くなっていたが、新型特急用車両の導入により観光輸送にも改めて取り組んでいる。

開業線の他に木島から野沢温泉までの具体的な延伸計画や「善光寺平環状線構想」と称された河東線〜飯山鉄道(現JR飯山線)〜千曲川西岸線(豊野・長野〜屋代)の直通運転という雄大な構想もあったが、ともに実現せず今に至る。

かつてはバス事業も行っていたが、経営合理化の一環として分社化をすすめ、1995年10月の長電バスへの移管(ただし連結子会社として電鉄と重要な関係があり、厳密な撤退ではない)をした。 2002年4月1日に、河東線の一部区間(信州中野駅-木島駅間、通称「木島線」)が廃線となるなど、他の地方鉄道同様、厳しい状況下にある。

歴史
1920年(大正9年)5月30日 河東鉄道株式会社設立。
1922年(大正11年)6月10日 河東鉄道 屋代〜須坂間が開業。
1923年(大正12年)11月25日 長野電気鉄道株式会社設立。
1923年(大正12年)3月26日 河東鉄道 須坂〜信州中野間が開業。
1925年(大正14年)7月12日 河東鉄道 信州中野〜木島間が開業。
1926年(大正15年)6月28日 長野電気鉄道 権堂〜須坂間が開業。
1926年(大正15年)9月30日 河東鉄道が長野電気鉄道を合併、長野電鉄株式会社に社名変更。
1927年(昭和2年)4月28日 平穏線(同年8月27日より山の内線へ名称変更) 信州中野〜湯田中間が開業。
1928年(昭和3年)6月24日 長野線 権堂〜長電長野間が開業し国鉄長野駅に乗り入れる。
1981年(昭和56年)3月1日 長野線 長野〜善光寺下・本郷間を地下化。
1987年(昭和62年)3月15日 バス事業の一部を信濃交通に移管。
1992年(平成4年)10月1日 バス事業の一部を信州バスに移管。
1995年(平成7年)10月 残るすべてのバス事業を長電バスに移管。
2002年(平成14年)4月1日 河東線 信州中野〜木島間廃止。